【Caution!】

全年齢向きもR18もカオス仕様です。
★とキャプションを読んで、くれぐれも自己判断でお願い致します。
★エロし ★★いとエロし! ★★★いとかくいみじうエロし!!
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 イルカの開かれた目は、どこか焦点が合っていなかった。
 狭い机を挟んで向かい合って座っているのだから、どこを見ているのか分からないような状況ではない。
 今までとは違うぼんやりとした目付きのイルカが、テンゾウの輪郭をなぞるように視線を泳がせる。何度か目線が交わったはずなのに、ただの一度も目が合わない。
 と。
 イルカの黒い瞳が、テンゾウの右肩の辺りでぴたりと定まった。
 思わず振り返ってしまったが、もちろんこの部屋には二人以外に誰もいない。もう一度イルカを見ると、明らかに『そこ』を見ている。危うく何かいるのかと尋ねかけて、先ほどの声をかけるなという注意点を思い出した。
 しっかりと口を引き結んでイルカの様子を見ていると、時折小さく頷いたり、悲しげに眉を潜めたりしている。一度だけ口を開きかけたが、声は発せられなかった。
 まるで一人芝居をしているようなイルカに、置いてきぼりになった形のテンゾウは、目を逸らすこともできずにただイルカを見つめていた。
 ふと、イルカの瞳の中を何かが過ぎった気がして、もう一度振り返ったがやはり誰も、何もいない。
 気のせいだったかと、確認のために身を乗り出してイルカの黒い瞳を覗き込むと。


 自分の猫面のすぐ横に、黒い影が写っていた。


 イルカの瞳は一見黒に見えるが虹彩は濃い焦げ茶色で、薄暗い部屋にいる今は瞳孔がやや大きくなっている。
 その中に、有り得ないほど真っ黒に塗り潰された人の頭の形をした『モノ』が、テンゾウの背後からイルカを覗き込んでいた。
 その『モノ』に顔のパーツは無く、目があるべき位置はがらんどうの洞(うろ)だった。にもかかわらず、その洞は真っ直ぐイルカを見ていた。
 じり、とその洞の中が動く。
 何もないはずの洞なのに、その目線が移動したのが分かった。
 ――テンゾウの方に。

「……っ」

 危うく声を上げそうになったテンゾウは、両手で口を押さえながら身を引いた。椅子がガタリと音を立て、慌ててイルカの方を見たが、相変わらずテンゾウの右肩辺りを見ているだけで特に気付いていないようだった。
 そこに何かいると分かった今では、もう振り返ることはできなかった。
 感知能力が常人より遥かに優れているテンゾウですら見ることのできない、気配を感じることさえもできない『モノ』が、右肩のすぐ後ろにいるのだ。
 イルカが緩く首を左右に振り、その『モノ』にひたりと強い眼差しを向けた。そしてひとつ頷く。
 不意にテンゾウは理解した。
 イルカはその『モノ』と会話をしているのだ。
 声は出さずとも、何らかの手段でこれとコミュニケーションを取っている。
 怖い、と思った。
 黒い影の『モノ』もだが、それと会話をしているイルカのことも。
 彼が狂っているのならば良かった。それなら理解の範疇だからだ。黒い影を見ることがなければ、真っ先にその結論に飛び付いて安堵しただろう。
 だがテンゾウは見てしまった。
 その存在を知ってしまった。
 イルカを否定するならば、自分の見たものも否定しなければならない。自分を信じられなくなったら暗部稼業なんて終わりだ。己の感覚と判断を信じてきたからこそ、今まで任務を確実に遂行し、なおかつ生き延びてきたのだから。
 ならばこれから起きるであろうことも、しっかりと受け止めなければ、そして対応を考えなければと腹を括った。
 膝の上に置いた拳を握り、改めてイルカを見据える。するとイルカの瞳が揺らぎ、みるみる内に涙が溢れてぼろぼろと零れ落ちていった。
 悪霊に乗っ取られたイルカがいきなり攻撃してくるとか、悪霊が暴れ出すなどは考えていたが、これは完全にテンゾウの想定外だ。
 イルカは尚も泣き続け、無防備に泣き顔を晒している。そのあまりの痛ましさに、何か、とにかく何かしてあげなくてはと焦燥感に駆られた。
 触れることも声をかけることも禁じられた中、いったいどうしたらいいのかと焦るが、これといった解決法が何も思い浮かばない。

 ――もしかして、これはイルカの言っていた『異常な振る舞い』に相当するんじゃないか。攻撃されている訳ではないが、任務中に忍がここまで無防備に泣くなど尋常ではない。

 そう思い当たったテンゾウは、使命感に駆られて椅子から立ち上がった。
 ぼうっと座っているだけじゃなく、イルカを助けられる手段を見付けたことに気持ちを逸らせながら、身を乗り出してイルカの背を平手で強めにバシンと叩く。

「イルカ!」

 叩いた反動で、イルカの目から大粒の涙がぼろりと落ちた。
 イルカの肌の色を写した美しい水の粒が、頬から顎に伝い落ちていく。
 なぜかそれを落としてはいけない気がしたテンゾウは、反射的に手を出して掌に受けた。

「……、テンゾウさん?」

 我に返ったイルカが、間近で見上げてくる。
 テンゾウが身を乗り出して背を叩いたせいで、ほとんど覆いかぶさるような体勢になっていた。

「イルカさん、大丈夫ですか?」

 気遣わしげに覗き込むと、黒い瞳は今はしっかりとテンゾウに焦点が合っていた。

「あ、はい、終わりました」
「え?」

 突然の終了宣言に、つい聞き返してしまう。
 何かもっと悪霊と壮絶なやり取りとか、おどろおどろしい『モノ』が暴れて室内の家具が飛び交うとか派手なものを想像していたのに、なんとも呆気ない幕切れだ。
 それにあれほど泣いていたのはどういうことだろうと、まだ悪霊の影響下にあるんじゃないかと不安になって、改めてまじまじとイルカを覗き込む。そこには涙の名残がまだあり、テンゾウは無意識にイルカの眦に指先を伸ばしてそっと拭い取った。

「あれ、俺泣いてたんですね。お恥ずかしい」

 照れ臭そうに笑うイルカは、確かにイルカのように見えた。といっても、彼をそこまでよく知る訳でもないが。

「もう大丈夫です。簡単にご説明するので、どうぞおかけください」

 促されて気付いたが、テンゾウは今にもイルカにキスでもしそうな体勢になっていた。掌に受けた涙の粒をどうしようかと一瞬悩み、拭き取るでもなくそのまま掌を上に向けて膝に乗せ、椅子に腰を下ろす。

「あなたに憑いていたのは、先日の任務での暗殺対象に長年虐げられていた方です。……既に故人ですが」
「はぁ」

 急な展開についていけないテンゾウは、気の抜けた相槌を返した。

「任務とは直接関係がないので詳細は伏せますが、暗殺を依頼してきたところとは別件のようですね。暗殺対象者はずいぶん前から霊障に悩まされていて、それはあなたに憑いていた方によるものだったそうですが、それを防ぐための札が、あなたが目印にしたという赤い札だったそうです」

 説明にところどころ伝聞が混じるのは、やはり憑いていたという『モノ』から聞いたんだろうか。
 この期に及んでそれを尋ねるのは、聞いたら確証を得てしまうようで躊躇われた。

「その札のせいで恨みを晴らす行為ができなくなって、鬱憤が溜まりきっていたところにあなたが現れて『殺す』という思念がシンクロしたせいで、ついあなたに憑いてしまったそうです。その点については、大変ご迷惑をかけたと謝罪してました」
「それはもういいんですが、その……彼? でいいんですか、彼の悲願は達成されたんですよね? なのになぜ僕に憑いてきたんでしょうか」

 憑いてきたどころか、彼の『殺す』という思念に囚われて危うく謀反人になるところだった。
 言うなればテンゾウは悲願を叶えた恩人だ。恩を仇で返すような行為は、いわゆる霊には当たり前なのだろうかと、イルカにぶつけても意味のない不満を投げかける。
 するとイルカは申し訳なさそうに肩を竦めた。

「それはあの方があまりにも長く強く、『殺す』という思念を持ち続けてきたせいかもしれませんね。あなたが暗殺したおかげで相手は亡くなったけど、自らの呪いで達成した訳ではなかったので。呪いの対象を見失って暴走するのはよくあるんです」
「そんな……」

 馬鹿な、という呟きは辛うじて飲み込んだ。
 イルカは大丈夫と言ったが、なにぶん見えない相手だ。まだその辺にいて、不興を買ったらまた取り憑かれるのではと、テンゾウはすっかり子供のような発想になっていた。

「その辺りも含めて私が説明したので、納得して還ってもらいました。ですからこの件は解決です。あなたへの今後の影響は、あの方からのはもうありません。お疲れ様でした!」

 『帰って』とはどこに? と思いつつも、朗らかな笑顔で頭を下げられ、つられてテンゾウも頭を下げる。
 だが最後の方に、何か聞き捨てならないことを言わなかったかと、慌てて頭を上げた。

「あの方からのは、というのは? まだ何かあるんですか?」

 テンゾウの問いかけに、イルカがしまったという顔をする。
 このまま流すべきなのかもしれないが、せっかくの機会なのだから、テンゾウとしても憂いを残したくない。面越しで伝わりにくいだろうが、じっと見つめて先を促すと、イルカは観念したように軽くため息をついた。

「先ほどの方の影響は、恐らく『殺す』という思念に関わるものだけです。それ以外の何か変わった現象は、もっと前からありましたよね? それは今のところそのままです」

 変わった現象と言われて思い当たるのは、自室で眠っている時に聞こえる不可解な足音や気配だった。

「そのままって……大丈夫なんですか⁉」

 確かに今のところ実害はないが、これからの確証などない。それを放置するなど、精神と体を乗っ取られた経験を思ったら、とても見過ごすことなどできなかった。
 イルカはテンゾウの剣幕にやや身を引きながらも、軽い調子でうーんと唸る。

「説明しても厳密な違いはご理解してもらえないと思うんですが……一般的に悪霊と呼ばれるのは、先ほどのようによっぽど強い思念を残すような、極めて目立つごく一部なんです。あの方も、本当は悪霊と呼ぶのには該当しないんですが。それ以外にも普通に存在してる霊はたくさんいて、そのほとんどは無害です」
「今のところは、ですよね?」

 あんな事がまたあったら、任務に支障が出るどころの騒ぎではない。無意識に対象者以外にも刃を向ける暗部など、危険にもほどがある。
 するとイルカは、思いがけずにこりと微笑んだ。

「これからも恐らく、としか言えませんが。あれだけの強力な思念は、何かしらの影響が取り憑かれた者の表にも出てきます。その時のために私たちがいるので、どうぞご安心ください」

 胸を張るイルカの笑顔に、またもやぼうっと見惚れかけたが、ふと気付く。
 もしかして暗部専用受付自体が、こういう怪奇現象の対応も含む部署なのではないだろうか。

「ということは、他の受付の人も……?」
「あ、そうですね! 申し遅れましたが、私たちはこういう事態にも対応できる特殊なチームを組んでるんです。濃鼠(こいねず)だけは一般的な暗部専用受付ですけど。暗部の方々は任務の性質上、どうしてもああいう霊に好まれやすいですから。あなたとはこれからもご縁がありそうなので、よろしくお願いしますね」

 にこやかに手を差し出されたので、つられたテンゾウは掌に涙を乗せていない方の手を出した。
 肉厚な手にぎゅっと握られ、何か温かいものがじんわりと流れてくるような感触をしばらく堪能する。
 それが離れていき、少し寂しく思っているうちに、またも聞き捨てならない言葉が混じっていたことに気付いた。

「これからもご縁がありそうって、どういう意味でしょうか」

 何かの都度都度イルカの笑顔に惑わされるが、今回で終わりではなかったのか。
 面の中で怪訝な顔をしていると、イルカの笑顔が翳る。

「テンゾウさん。あなたは、そうですね……執着が足りないんです」
「執着?」

 暗部であるテンゾウに執着するような物などない。
 財産であれ命であれ、何かに執着していたら任務など完遂できないからだ。中にはそういう者もいるかもしれないが、少なくともいざ任務という時に命を惜しむような者は、暗部には向いていない。
 それはどの暗部でもそうではないのかと首を傾げていると、珍しくイルカが躊躇いを見せた。

「あなたは昔からそんな感じですよね。……何も望まない。そういう空っぽなものを抱えてる人は、付け入られやすいんです」

 理由はともかく、霊に好まれる人間だということは伝わった。イルカが昔から自分を知っているような言い方も気にはなったが、おおかた暗部の事は全員分調べ上げてあるのだろう。
 どっちにしろ、どうにもならないことに悩む時間をかけるほどテンゾウは暇ではない。

「分かりました。それでは今後何か不可解な悪影響があれば、またよろしくお願いします」

 そう言って立ち上がると、まだ何か言いたげなイルカと目が合う。だがイルカはゆるゆると首を振ると、「はい、お疲れ様でした」と短く返す。そして喋り続けで喉が渇いたのか、机の上のグラスを取ると口元に運んだ。

「あ、間接キス」
「ぶぇっ⁉」

 考える前に口から出た言葉に、イルカが水を吹いた。

「その水、さっき少し頂きました。勝手にすみません」
「いや、それは構わないですけど!」

 ぶわりと赤く染まる顔に、もっと彼のいろいろな表情を見たいと思う。
 その沸き上がる衝動にも似た未知の思いを、テンゾウは不思議に感じた。
 イルカのことを怖いと思ったのは事実だ。
 先ほどイルカの目の中に写っていた影と、その洞を思い出す。
 だが。
 テンゾウはそれ以上に興味を引かれていた。
 目の前で赤面した顔を隠すように慌てて半面を着け直す、イルカという男に。

「それではまた。失礼します」
「あ、はい。お疲れ様でした!」

 彼がご縁があると言うなら、それに期待しようと思いながら窓の外に足を踏み出した。
 もしかして、これは一種の執着と呼べるのではないか。
 面をずらし、零れ落ちないよう大事に掌に乗せておいた涙の粒をぺろりと舐め取る。
 舌に染み込む僅かな塩気混じりの水分を名残惜しむように味わうと、弾む気持ちのまま宵闇の中へと跳んだ。



【完】

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