【Caution!】

全年齢向きもR18もカオス仕様です。
★とキャプションを読んで、くれぐれも自己判断でお願い致します。
★エロし ★★いとエロし! ★★★いとかくいみじうエロし!!
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本編 優しき獣は愛を請う




 大妖 三日月羅刹丸の御噺





「失礼します、綱手様……あれ、シラス?」
 カカシが火影の執務室に入ると、真っ白なふさふさの尻尾がひと揺れして窓から外へと消えていった。
 あの高飛車な揺れ方とゴージャスな尻尾は、普段はイルカの忍猫の姿をしているシラスのものに間違いない。
「ん? あぁ、お前は羅刹丸殿を知ってるんだったな。羅刹丸殿はアタシの膝の上で昼寝するのが、殊の外お気に召していてな。よく立ち寄られるんだよ。胸と膝の間に挟まれるのが狭くて快適らしい」
「羅刹丸……殿?!」
 木の葉の里長たる綱手が、大妖とはいえ一匹の猫に敬称を付けて話すことに驚いたカカシは、思わず口を挟んでしまった。
 すると綱手はその美しい顔に呆れを乗せ、眉間に皺を寄せた。
「あのなぁ、カカシ。羅刹丸殿はたまたま木の葉というかうみの家にいらっしゃるが、本来アタシらのような人間がおいそれとお会いできる御方じゃないんだぞ。もっと礼を尽くせ! ……で、何の用だ?」
 そこで本来の用事を思い出したカカシは、綱手にシラスの事で更に子供のように叱られる前にと、胸のホルダーから昨日までの任務に関わる巻物を取り出した。



 今日は珍しくイルカと揃っての休日だった。
 些細なことで呼び出される前にと用事を済ませたカカシは、そのままイルカの住むアパートに向かう。なぜか料理が壊滅的に下手なイルカに、ゆっくり時間が取れたら一緒に練習しようと前から約束していたのだ。
 (台所で並んで料理をするなんて、いかにも新婚さんみたいだよね~♪)
 味見用のを「はいカカシさん、あ~ん」としてもらって、「イルカ先生も味見してみたいな」なんて、あわよくばイチャパラ的な展開も……などとニヤニヤしながらアパートの階段を上りきると、ノックをする前に扉がガチャリと開いた。
「……なんじゃ、犬使いか。儂らのせっかくの休日を邪魔しおって」
 今日の予定はイルカから聞いているだろうに、不愉快そうにとぼけた羅刹丸はカカシの目前で扉をバタンと閉めた。ご丁寧に鍵までかけて。
 つい先ほどまで綱手の所にいたようなので、もしかして今日は不在なのかと期待してた分がっくりとしたが。イルカとの時間に何かとこの小姑の邪魔が入るのは、もう日常となっていた。
 気を取り直してノックをしようと腕を上げると、扉の向こうで言い争う声がする。そして再び扉が開くと、瓶底眼鏡をかけた愛しい番のイルカがすまなそうに顔を出した。
「カカシさんすみません、また羅刹丸が」
 言い終わらぬうちにカカシは身体を滑り込ませ、後ろ手に扉を閉めるとイルカをぎゅっと抱きしめた。
「ただいま、イルカ先生」
「……っ! おかえりなさい、カカシさん」
 昨夜は十日ほどの任務から戻り、夜更けにイルカを起こすのも可哀想だとこちらには来なかったのだ。
 首筋に顔を埋め、久しく嗅いでない番の匂いを胸一杯に吸い込むと、カカシはイルカの唇を求めた。柔らかく、甘やかな番の唇を。
 ちょんと啄み、舌でなぞってイルカの唇を開かせると、味わうように優しく食む。
「ん……、ふ」
 イルカの秘やかな息が零れたところで、羅刹丸の不粋な声が割り込んできた。
「イルカ、買ってきた物は早う冷蔵庫に仕舞わぬといけないのではないかの」
 いい雰囲気になったところで邪魔されて舌打ちをするカカシに、イルカは小さく笑って頬にキスをした。
「さあカカシ先生、俺に料理を教えて下さいね」
 頬ではあっても、珍しいイルカからのキスで簡単に機嫌を直したカカシは、サンダルを脱ぐとイルカの後をついて台所に向かった。

 台所には羅刹丸が片眉を上げて立っていて、いかにも小姑という体でカカシを睨み付けてきた。
 イルカの料理の腕を心配しているのは羅刹丸とて同じだろうに、カカシと一緒に練習するのが気に食わないのだ。だが、イルカは今までも料理を学ぶ機会はなかったのだろうか。大妖とはいえ妖の身では人間の料理を教えるのは難しい故に、教えられるカカシに嫉妬してるのかもしれない。
 小さな優越感に浸っていて、ふと眉間に皺を寄せる。猫好きなイルカが喜ぶからといつも猫のシラスの姿でいるのに、なぜ今日は人型なのか。しかも、先ほどまでシラスとして綱手の所にいたはずなのに、わざわざ変化してまで。
「ちょっと、今日はイルカ先生と新婚クッキングするんだから。また変な邪魔しないでよね、シラス丸」
「……なんじゃと?」
 羅刹丸の人型を見ながら猫のシラスのことを考えていたせいか、カカシはうっかりシラス丸と呼んでしまった。
 それを聞き咎めた羅刹丸が、ぎらりとカカシを睨め付ける。彼は大妖たる所以の、苗字を含めた『三日月羅刹丸』という己の真名に誇りを持っているのだ。
「貴様……よりによってあんな餌にもならん雑魚と儂の真名を混ぜて呼ぶとは……っ! ええい、もう許さぬぞ! 貴様なぞぺろりと喰ろうてやるわ!!」
「そんな大袈裟な、ちょっと間違えただけじゃないの。しかも食うって……猫が俺を?」
 カカシが呆れると羅刹丸はニヤリと唇の端を歪め、「貴様を喰らうのなぞ儂には朝飯前よ」と、その人型の輪郭をぐにゃりと崩した。
 いつもならこの後、真っ白な毛並みの美しい猫に姿を変えるのだが。
「で……っか!!」
 ぼやけた輪郭の後に現れたのは、虎ほどもある大きな白猫の姿だった。
「これでもまだ阿呆面をしていられるかの、犬使い殿」
 巨大なシラスはグッと身を伏せると、ふさふさの尾をぴんと立てながらシャアッと威嚇し、象牙色の牙を剥き出してカカシに飛び掛かってきた。
 カカシはすんでのところで身を翻して避けたが、テーブルの上にまだ置きっぱなしになっていた食材が音を立てて床に落ちる。
 二人の諍いには慣れて動じなくなっていたイルカも、さすがにガシャン バタンという物音には驚き、冷蔵庫から頭を出した。
「何やってんだよシラス! カカシさんも!」
 その声で台所から居間に逃れ天井に張り付いていたカカシも、それを追って卓袱台に前肢を乗せて飛び上がろうとしていたシラスも、揃って動きを止める。
「ああもう、せっかく買ってきた食材が台無しじゃないか! だいたいシラスも名前くらいで大人げないぞ。生シラスは銀色がかった透明ですっごく綺麗な魚なんだからな。お前の毛並みにそっくりじゃないか!」
 イルカが的外れな上に、シラスの怒りに火に油を注ぐようなことを言い放つ。
 だが怒っているイルカに逆らうには、二人とも彼を愛しすぎていた。カカシが天井からくるりと着地すると同時に、シラスも羅刹丸の姿へと変わっていた。
「シラスの名が気に食わぬのではないぞ、イルカよ。彼奴にシラスと呼ばれるのが気に障るだけじゃ」
「シラスをシラスと呼んで何が悪いのよ」
「先ほどはシラスとさえ呼んでおらんかったではないか!」
「羅刹丸。カカシさんも。食べ物を無駄にする人は好きじゃありません。俺はもう一度買い物に行きますので、帰るまでに片付けておいて下さいね。……二人で」
 丁寧に話すイルカからは、静かな怒りが伝わってきた。最後の「二人で」の部分に押さえ付けられるように、カカシと羅刹丸はこくりと頷いた。

 イルカが財布を持って出ていくと、カカシは周りの惨状を見渡した。
「あ~あ、ひどい有り様だぁね」
「貴様が尻尾を巻いて逃げるからであろうが」
「俺は巻くような脆弱な尻尾なんて持ってないね。あんたがでっかくなって襲うから避けただけでしょ」
「ふふん、本来の大きさはあんなものではないぞ。貴様など一捻りじゃ。イルカが泣くからやらんがのう」
 そう言い捨てると羅刹丸はすたすたと台所に向かい、雑巾を取って割れた卵を片付け始めた。どうやらおとなしく片付けをするらしいと判断したカカシは、自分もしゃがんで床に散った豆腐を寄せ集める。
 二人で特に会話もなく黙々と動いていると、羅刹丸が唐突に呟いた。
「貴様は……イルカの子を欲しいとは……」
 羅刹丸は以前から、イルカに相応しい番は儂が見つけると息巻いていた。最近はそれも言わなくなっていたが、まだ諦めていなかったのか。自分の大切な番を奪うような真似をするならば、たとえ大妖相手でもカカシは一歩も引く気はなかった。
「イルカ先生はもう俺の番だ」
 低い声に断固とした意志を滲ませ、カカシが答える。
 だが挑発に乗るかと思われた羅刹丸は、ふっと息を吐いただけだった。
「そういうことではないんじゃがの……まぁよい」
 それきりまた黙ってしまったので、カカシも警戒心を残しつつも片付けに戻った。

「ただいまぁ! あ、綺麗にしてくれたんですね!」
 買い物から帰ったイルカは二人がきちんと片付けた形跡を見て、どうやら機嫌が戻ったようだ。
 カカシはさっと駆け寄るとイルカの買い物袋を持ち、「イルカ先生に言われたことなら、俺はちゃんとやりますよ」とさりげなく腰に手を回して台所へと誘った。
「じゃあ早速取り掛かりましょうか。カカシさん、お願いしますね」
 イルカが手を洗い、材料を取り出して並べるカカシの隣に立った。
 張り切って腕まくりをするイルカの様子に、思わずカカシの頬も緩む。だが秋刀魚をまな板に乗せ、躊躇なく包丁を振り下ろそうとしたイルカを見たところでぎょっとして、とっさにその手を掴んで止めた。
「ちょっ、ちょっと待って! それは何するつもり?!」
「え、秋刀魚を焼くんですよね? だから頭を落とそうかと思って」
 イルカが包丁を降り上げたままにこやかに答えるが、カカシは一瞬目眩を覚えた。
 だが他ならぬイルカのやることだ。次の瞬間には満面の笑顔をイルカに向ける。
「……ええっと、魚はまず洗って鱗を軽くこそぎ落としてから、塩を振ってしばらく置いとくんだよ。でもその前に全体の手順というものがあるからね、先に色々準備をしようね~」
 最後の方は子供に言い聞かせるような口調になってしまったのはやむを得ないだろう。だがイルカは気にも留めずに「はい、分かりました!」などと元気に返事をする。
 背後で羅刹丸の含み笑いをする気配が伝わってきた。
 (これは……先が思いやられるなぁ)
 カカシは思い描いていたイチャイチャ新婚クッキングを泣く泣く諦め、超初心者向けお料理講座に頭を切り替えた。

 それからは予想通りというか以上というか、イルカの数々の驚愕の料理スキルを目の当たりにして、さすがのカカシも心が折れそうになっていた。
 鍋は何も入れずに火にかけるし、卵は割るというより握り潰していく。
 これはアカデミー生をも遥かに下回るのではないだろうか。
 どうやって野営食の作り方を生徒に教えているんだろうと疑問がよぎったが、その為に教師は専門が分かれているのかと思い当たる。
 イルカの読めない行動をなんとか先読みしつつ大惨事を未然に防ぎ、なおかつ料理の基本を教えていく作業はカカシでも骨が折れた。いっそのこと影分身を出して防衛班と講師班とイルカ先生鑑賞班とに分けようかとも思ったが、洞察力に優れたイルカを傷付けるのは本意ではなかったので堪える。
 しかも背後には、常にそれをニヤニヤしながら見ている羅刹丸の気配があった。
「ぼんやり眺めてないで、ちょっとは手伝ってよ」
 最初は邪魔者と思っていたことも忘れ、思わず八つ当たりのように声をかけると、羅刹丸は意外にも素直に寄ってきた。
「儂は何をすればよいのじゃ」
「あ~、……じゃあ味噌汁を作っておいてちょうだい」
 カカシが試しに豆腐となめこを差し出すと、羅刹丸は作り方も訊ねずに「ふむ」と手慣れた様子で出汁を取り始めた。
 それを見て、今までは羅刹丸が主に食事を作っていたことにカカシは気付いた。任務帰りに急にイルカの家に立ち寄った時など、稀にイルカにしては豪勢な手料理が食卓に並ぶことがあったが。
(あれは羅刹丸のお手製だったのか……)
 イルカが特に何も言わなかったので、てっきりたまたま上手に出来た時なのかと素直に喜んでいた自分を殴りたいと、カカシはがっくりと肩を落とした。

 それからは狭い台所に、三人で並んで料理をすることになってしまった。
 しかもいつの間にか羅刹丸がイルカの隣を陣取り、「ほれ、そこは親指で押さえながら皮を剥くのだと、いつも言っとるじゃろうが」「それが難しいんだっていつも言ってるじゃないか」などと仲睦まじく寄り添っている。
 自分が招いた事態とはいえ、せっかくの二人っきりのお料理タイムを手放すのはあまりにも悔しい。カカシは歯噛みしながらなんとか割り込もうとするが、羅刹丸はいかにも元が猫らしく、するりするりとカカシの先回りをしながらイルカから離れなかった。
 だが羅刹丸が入ったおかげで、真剣に取り組むイルカの横顔をじっくり眺められるようになったのは有り難い。
「見て下さいカカシさん、ほら!」
 と玉子焼きを誇らしげに掲げる様子は食べてしまいたいほどに可愛らしいと、カカシは顔が綻ぶのを止められなかった。皿に移す時に千切れてしまったが、それを見て悲しそうに「ああっ、せっかく綺麗に出来たのに」とへの字に曲がった唇も愛おしくて、思わずイルカの頭を引き寄せてキスしてしまう。
「イルカ先生が俺のために作ってくれたんでしょ? どんな形だって美味しいに決まってるじゃない」
「カカシさん……!」
「ならば貴様にはこれを差し上げようかの」
 羅刹丸がカカシのベストをぐいと引き、皿を突き出した。
 平皿にはスプラッタ紛いに片目が零れ、内臓のはみ出た秋刀魚がでろりと横たわっている。きちんと焼き目は付いてるが、それでもでろりとした質感が出ているのが逆にすごい技術だな、とカカシはつい感心してしまった。
「あっ、それは! ダメです失敗作なんです俺が食べます!」
 そうまで言われて引いたら男がすたるとばかりに、カカシはにっこりと微笑んでみせた。
「これもイルカ先生が焼いてくれたの? じゃあ俺にちょうだい」
「犬使い殿がそう仰っとるんじゃ。イルカよ、望みを叶えてやるがよい」
 カカシのこめかみがピクリとひくついたが、ここで言い返してイルカを悲しませたくないので、ぐっと堪えた。
 電子音がピーッ ピーッと響く。
「ご飯もちょうど炊けたみたいだね。じゃあ食べよっか」
 いいタイミングで炊き上がった炊飯ジャーの蓋をカカシが開けると、イルカも「わあっ、うまそうに炊けましたね!」と歓声を上げた。顔を寄せて覗きこむイルカに、茶碗によそう前に軽くかき混ぜることも教える。しゃもじを持ったイルカの手に、抜かりなく自分の手を添えて。
 滅多にない三人で食卓を囲むという状況は、珍しいことに諍いの一つもなく、和やかに終わった。

 カカシが風呂から上がると、寝室からイルカの声がした。
「どうしたの?」
 窓に向かっていたイルカが、ガラス戸を閉めて振り返る。
「羅刹丸がこれからあっちの家に行くって。たった今出てっちゃいました」
「家? 羅刹丸に別宅なんてあるの?」
「あっ、カカシさんには言ってなかったんでしたっけ。里の外れにうみのの生家があるんですよ。あんまり俺が手入れ出来ないので、羅刹丸がたまに行ってくれてるんです」
 イルカの生家ということは、両親と羅刹丸と四人で過ごした家だろうか。九尾の厄災で里はほぼ壊滅状態に陥ったのに倒壊を逃れたとは、とカカシは驚いた。
「羅刹丸は何も言わないけど……里の忍だからとはいえ、父と母を止められなかったことを今でも悔やんでるみたいなんです。あの日は俺に自分の命と繋ぐ絶対守護の印を施してから、みんなで過ごした家だけでもと結界を張って守ってくれて……」
 イルカの声がひび割れた。
 カカシがその肩を抱き寄せ、自分の懐に包み込む。
 震えるイルカの背を優しく撫でさすり、髪に慈しみのキスをそっと落とした。
「今度は俺もその家に連れてってくれる?」
 肩口でイルカが何度も頷く。
 十日ぶりの逢瀬で、今日は優しく抱けないかもと危惧していたカカシの胸に、静かな情愛が広がった。イルカの髪に手を差し入れて顔を上向かせると、濡れた黒い瞳が見返してくる。
 愛してる、の言葉ですら足りない気がして、カカシは顔を寄せると自分の唇に想いを込め、熱と共にイルカの唇に伝えた。
 そこで不意に今朝の巻物のことを思い出したカカシは、ハンガーにかけてあったベストのホルダーからそれを取り出し、イルカに手渡した。
「綱手様に昨日の追加報告をする時に貰ってきたの。これイルカ先生が持ってて」
「これは……えっ?」
 ばらりと広げた巻物には、綱手の押印と共に流麗な手蹟で『番証明書』の文字が。そしてはたけカカシ・うみのイルカの名が並んで書かれていた。
 驚きのあまり口を覆って絶句したままのイルカの手から巻物を取り上げると、くるくると巻き直してもう一度手渡す。
「俺たちは婚姻届は出せないけど、何か形にしたいと思って。綱手様に前から頼んでおいたのを、今朝渡されたんだよね。勝手にごめんね」
 イルカがぼろぼろと涙を落としながら、横に首を振る。
「俺たち、家族になろうよ。ううん、俺と家族になって下さい」
「はい……はいカカシさん、もちろんです!」
 感極まったイルカが、飛び付いてカカシの首に腕を回した。
 それをカカシは喜んで受け止め、イルカの――愛しい番のぬくもりと重みとを味わった。



 里の中心部から外れた一軒の平屋の前に、音もなく白い猫が降り立った。
 そのまま裏手へと回り、木戸の所で何か小さな動きをすると、ヂチッと破擦音がして木戸が開く。白い猫が通り抜けると木戸は自然と閉まり、またヂチッと音を立てた。
 ここはイルカの生家だった。
 今もなお羅刹丸は秘かに妖特有の結界を張り、木の葉の里民の気に留まらないよう、むやみに他人が立ち入らないようにしているのだ。
 羅刹丸が猫の姿のまま庭へと白い足を進めると、夕闇の中から朽葉色の和服姿の若者が滲み出るように現れ、羅刹丸に向かって深々とお辞儀をする。
「お久しゅう御座います、三日月殿」
 白い猫はぐにゃりとその輪郭を歪め、人の姿へと変化した。
「羅黒(らくろ)か。それほど久しゅうもないであろうよ。里には先日戻ったばかりではないか」
「人の世では半年も経てば十分久しゅう御座いますよ」
「お主もずいぶんと人の世に慣れたの」
 軽口を叩く羅刹丸の左右色違いの目は、口調に反して慈愛に満ちている。
 羅黒は不在がちな長の代わりに妖猫の里を任せている、羅刹丸の右腕のような存在だった。仔猫の頃から羅刹丸自ら面倒をみて、元服した暁には己の名を一文字与えるほどに寵愛している。そのため羅黒も、敬意を込めた言葉ではあっても、遥かに格の違う大妖相手とは思えないほどの気安い応酬をすることもあった。
「イルカ様はお健やかにお過ごしですか」
 羅黒が懐かしげに問う。
「うむ、番を得て満ち足りた日々を送っておるぞ。こればかりは養い親の儂には与えられない充足じゃからのう。犬使いには、それだけは感謝しとるよ……まっこと不本意じゃが」
 いかにも不本意そうな羅刹丸の言い様に、羅黒が口元に優しげな笑みを刷いた。
「それも三日月殿がおられてこその充足では御座いませぬか。お相手が人犬族というのも、何やら不思議な縁を感じます」
 人犬族と人猫族は、元々は祖を同じにする人外だった。
 深い森に住まう人外の一族のうち、広い外地を求めて森を出たのが後の人犬族、森に留まったのが人猫族だったのである。永くを生きる妖には既知のことだが、それを知ったら喜ぶであろうカカシを目の当たりにするのも業腹で、羅刹丸は二人には黙っていたのだった。

「家の掃除はあらかた済んでおります。どうぞこちらへ」
 羅黒が横に退いて羅刹丸を家屋へと促した。
 戸を開け放した縁側からは、襷掛けをした和服姿の者たちが箒やハタキを手に動き回っているのが窺える。その内の小柄な一人が「あっ、三日月殿! お久しゅう御座います!」と裸足で駆け寄ってきた。
「おお、鉄鼠(てつねず)の息子か。大きゅうなったの」
「これ白鼠(しらねず)、人の世では地を歩く時は、履き物を履けと教えたであろうが」
 白鼠と呼ばれた子供は羅黒に叱られ、しょぼんと萎れてしまった。その腰の辺りからは、白い尻尾もしょぼんと垂れ落ちている。
「よいよい、白鼠は人型をとれるとはいえ、まだ尾も仕舞えぬほんの子供じゃ。これから学んでいけばよいのじゃよ」
 羅刹丸は白鼠の頭をぽんぽんと撫でた。
 この仕草はイルカがよくやる――元々はイルカの父イッカクがよくやっていた仕草だった。妖にも猫にもないその愛情を伝える仕草が羅刹丸は好きで、自分でもやるようになったのだ。
 頭を撫でられた白鼠がくすぐったそうに肩をすぼめ、満面の笑みを浮かべる。
「さて、掃除も済んだなら、そろそろお前たちは里へ戻りなさい。皆の者ご苦労でした」
 羅黒が家中の者たちに声をかけた。
 すると掃除用具を片していた者たちは次々に猫へと姿を変え、羅刹丸に頭を下げてから庭の片隅にある古井戸に向かった。とうに涸れたその井戸には、羅刹丸が繋げた異界との細道があるのだ。
 一人残った羅黒が、あらかじめ支度してあったのか、酒と肴の乗った盆を奥から運んでくる。
「過日のご助力の御礼にと、西の妖の里長から頂いた酒で御座います」
 透明な酒に満たされたラベルのない酒瓶には、幾種類かの薬草が浮かんでいた。
「ふむ、代替わりも無事済ませたようじゃな。まったく、よりにもよって人猫族の女がちょっかいをかけてくる時にお家騒動を起こさなくともよいものを。おかげで……おかげでイルカが何処の者とも知れぬ犬の骨の番に……っ」
 羅刹丸の全身から青白い光が立ち昇り、静電気のような小さな光の粒がパチパチと爆ぜる。
 そんな様子を見ても羅黒は特に気にした様子もなく、盆を縁側に置いた。
「はたけカカシ、といいましたか。彼は何処の者とも知れぬ犬の骨では御座いませぬよ。立派な人犬族の長だというではありませぬか。ささ、こちらへ。今宵は月見酒ができそうで御座いますね」
 羅刹丸はどかりと縁側に腰掛けると、羅黒の注いだ酒を一息に呑み干した。
「……イッカクとコハリは、彼奴を見たら何と言うかの」
 幼いイルカがコハリと造った花壇を見つめながら、羅刹丸がため息と共に零す。
 何度か妖猫の里とここを往復し、イルカの両親とも交流のあった羅黒は、主の空になった盃を満たすと同じ方を見やった。
「イルカ様が自らお選びになったお相手ですから、きっと祝福なされたと思いますよ。イッカク様は一発くらいは殴りそうですが」
「イッカクは一発では済まぬじゃろうな。イルカをたいそう可愛がっておったからのう」
 羅刹丸の顔にもようやく笑みが戻ってきた。
 だがその笑みは、すぐに意地の悪いものに変わる。
「まぁ、もし万が一にもイルカを裏切ったりしたら、それ相応の罰は受けてもらうがの」
「おや、何か呪でもおかけになられたのですか?」
「ふふん、彼奴が綱手に頼んでおった番証明書に、細工を少々な」
 宵闇に変わりつつある中で、羅刹丸の目がぎらりと光った。
 今朝はたまたま綱手の所へ足を運んだのだが、カカシが頼んでいたという番証明書を目に出来たのは本当に僥幸だったとほくそ笑む。
 羅黒は「おお恐い」と肩を竦めながらも微笑んで、自分の盃にも酒を注いだ。
「ですがイルカ様は稀少な三毛の人猫で御座いましたね。そのお世継ぎが無いのも、少々勿体のう気がいたします」
「それよ」
 羅刹丸が重い頷きを以て同意した。
 三毛は一族の中でも特に人猫としての能力に優れ、繁殖能力が低い代わりにそれは必ず遺伝すると言われていた。成熟した人猫の証として発情を迎え番を得たイルカは、これからその能力を存分に発揮できるようになるだろう。しかし三毛はあまりにも稀有なため、実際の能力に不明な点が多いのも事実だった。
 だが羅刹丸が気にかけているのは、特に繁殖能力についてだ。旧知の古妖に訊ねたり人猫族についての様々な文献を当たったりもしていたが、近頃一つ見過ごせない話を耳にしたのだ。
 それは幾つもの伝聞を経て羅刹丸に届いた、とある昔語りのような話だったが。

 ――雄の人猫の三毛が仔を産んだ

 実際にはただの三毛猫が仔を産んだのかもしれないし、雌の人猫が三毛を産んで言祝いだ話がねじ曲げられて伝えられたのかもしれない。
 羅刹丸は稀少種の三毛の仔云々よりも、イルカの子をこの腕に抱けるかもしれないという僅かな可能性に興奮し、ついカカシに問う事までしてしまったのだった。
 イルカとカカシが台所に並んで料理をするという、かつてのうみの家を彷彿とさせる今日の風景のせいかもしれない。
 イルカがまだ幼かった頃、羅刹丸は人型になってイルカを抱きながらあやし、台所に立つコハリやイッカクを手伝ったものだった。料理もその時に見よう見まねで習い覚えたのだ。
 最初は夫妻に助けられた恩を返すという、義理での人里での滞在ではあったが。
 長く上に立つ者として在り続けた羅刹丸にとって、うみの一家と過ごした濃密な時間は珍しくもあり、何物にも代えがたい尊いものであった。
 それが三毛の雄でも仔を産めるかもしれないという話で、かつての日々をまた繰り返せるのではと儚い夢を見てしまったのだ。

 その在りし懐かしき日々が頭の片隅にあったせいか、柄にもなくイルカとカカシの二人に交じって食卓まで囲んでしまったが。
 これではまるで忌々しい犬使いを家族として認めてしまったみたいではないかと、羅刹丸は唸り声を洩らした。
「どうなされましたか」
 羅黒が小首を傾げて問いかける。
 イルカが番を得たことは本当に目出度い。だがその相手がよりにもよって人犬族というのは、妖猫としての本能的に受け入れ難い。しかも幼いイルカの初恋に、カカシはゆっくりと心を通わせることもなく、発情に乗じたほとんど暴行紛いの行為から始まった関係だと羅刹丸は認識していた。しかしイルカは現に満たされた日々を送っている――カカシのおかげで。
 そんな様々な要素が絡まり合い、番に関する事はいつまでも羅刹丸の心を乱しざわめかせた。
「いや……ほんに儘ならぬは己の想いよ」
 その心中をどう解釈したのか、羅黒は穏やかに答えた。
「イッカク様とコハリ様は、イルカ様が幸せであればそれで良いと仰られることと思いますよ」
 カカシのことか、イルカの子のことか。
 羅黒には人猫の雄が仔を産めるかもしれないということは、あまりの荒唐無稽さ故にまだ黙っていたので、カカシのことを言っているのだとは思うが。
 どちらにしても尤もなことだと、羅刹丸は目を閉じて頷いた。愛し子のイルカのことになるとどうも視野が狭くなると自嘲して、今度はゆるりと酒を舐める。
「人外の種族とはいえ、人の命は儚いからの。あれこれと気になって仕方がないわ」
「我等から見ると、直ぐに移ろう月の姿の如く儚き生で御座いますから……」
「だからこそ、その美しさに惹かれるのであろうよ」
 羅刹丸と羅黒は揃って夜空を見上げた。
 そこにはようやく顔を覗かせた臥待月が静かに、とても静かに二人を見下ろしていた。



 次の日の朝――
 支給服姿のイルカは生家へと来ていた。裏木戸を開けて庭を通り抜けると、家屋へと向かう。
 戸を開け放したままの縁側には、白い猫が丸まって眠っていた。
「やっぱりここで寝ちゃったのか。いい加減にしないと風邪を引くぞ」
「儂は妖ぞ。風邪など引かぬと何度も言っておるのに、イルカは心配症よの」
 くわあっと大きく口を開けてあくびをしたシラスが、呆れたように答えた。
「彼奴はどうしたのじゃ。まだ惰眠を貪っておるのか?」
「まったくもう、シラスは……俺の番なんだから、ちゃんとカカシさんって呼んでくれよ。カカシさんは今朝呼び出されて任務に出たよ」
「そうかの。犬は犬らしく勤勉に働くのが当然じゃ」
 相変わらずカカシには辛口なシラスに、イルカが悲しげに眉尻を下げる。
 その様子を横目に見て、羅刹丸は昨夜の羅黒とのやり取りを思い出した。
 ――イルカが幸せであれば、それで良い。
 それを思うと、イルカに対してだけはほんの少し譲る気持ちが生まれる。本当に少し、ひげの先くらいではあったが。
「ふむ、イルカが認めるだけあって、犬使いにしては上出来な奴かもしれぬな。お主の番にはまだまだ到底力不足ではあるがの」
 それを聞いたイルカが、恥じらいながらもパアッと顔を輝かせた。
「カカシさんは本当に優しくて格好よくて、俺の番になってくれるなんてまだ夢みたいだよ。父ちゃんと母ちゃんにも紹介したかったなぁ。母ちゃんなんて、カカシさんが格好よすぎてびっくりするんじゃないかな」
 そう言うとイルカは両親の位牌に挨拶をするつもりか、縁側に腰かけると沓脱ぎ石でサンダルを脱ぐために屈んだ。
 その姿勢でわずかに露わになった斜め後ろの首筋に、昨夜の痕跡であろうカカシのあからさまな所有の印を見付けてしまい、羅刹丸は盛大に顔をしかめた。
「……イルカよ、右後ろの首に虫刺されがあるぞ」
「えっ? ああああ、そうか虫刺されか! 虫刺されに刺されたのかなぁ」
 目を泳がせながら首を押さえて支離滅裂な答を返すイルカに、羅刹丸はやれやれと首を振る。
「その程度なら絆創膏でも貼っておけばよかろう」
「そそそそそうだね、絆創膏には虫刺されだね」
 首から上が真っ赤になってしまったイルカから目を逸らし、羅刹丸は秘かにため息をついた。
 妖の身には人の交尾など気に留めるものでもないのだが。やはり養い子のイルカのことになると、どこか落ち着かない気がして乱れてもいない尻尾の毛繕いをする。
 さすがに『虫刺され』を指摘されたあとで位牌に向かい合う気にはなれないのか、イルカはそそくさとサンダルを履き直した。
「今日はシラスも一緒に来るんだろ?」
「うむ、アカデミーで口寄せの使役獣の授業もあるのじゃろう? また子供らにべたべたと触られるのう」
 そう言いながらも、羅刹丸は満更でもない口振りだった。
「シラスは子供たちに人気だからな。なにしろ俺の自慢の忍猫だもんな!」
 木の葉では羅刹丸はイルカの忍猫として登録されている。
 真の姿が妖だと知っているのは、代々の火影のみだった。そのことを伝えただけでも、本当はカカシも羅刹丸にとっては特別な枠に入っているのだが。
 羅刹丸はもちろん、それを本人に伝える気はなかった。
「あ、そうだシラス、いつも家を綺麗にしてくれてありがとな」
 イルカが縁側の戸を閉めながら、羅刹丸を振り返った。
「なぁに、これくらい朝飯前だ」
 羅刹丸がいつものようにイッカクの口真似で答えると、イルカがニカリと笑った。
 まるで、子供の頃のように。

 人の命は脆く、儚い。
 だがその刹那の営みの中には、善きにつけ悪しきにつけ、驚くほどの様々な感情と愛の表現の形とが満ち溢れていた。それが羅刹丸には面白くもあり、眩しくもあった。
 うみの家と、特にイルカとの関わりで生まれ続ける己の知らなかった感情もまた、羅刹丸を惑わせながらも、人のそれに近いものを与えてくれた。
 あの日、羅刹丸が止めようとも止められなかった、死地へと向かうイッカクとコハリが遺した言葉。
「私たちは最期まで忍として生きなければならないの。だからお願い羅刹丸。イルカを……私たちの何よりも大切な愛するイルカを……!」
 言われるまでもなく、コハリの言う「私たち」に羅刹丸はもう組み込まれてしまったのだ。
 だから恩人の最期の願いとしてではなく、羅刹丸はとうに己の意思でイルカと共にあった。イルカという名も与えられていなかった産まれる前、腹の中に眠っていた頃からずっと見守り続けてきた、大切な愛し子。
 番が現れた今、もう養い親としてはお役御免とも思われるが。小姑に振り回される辺りなど、二人ともまだまだ未熟だ。特に、犬使いが。

(……今しばらくは、イルカの傍らにこの身を置くのも良かろうの)

 イルカの笑顔を眺めながらそう胸の内で独りごちると、羅刹丸は立ち上がったイルカに並んでアカデミーへと歩き出した。
 笑って、怒って、時には泣いてと、人の世ならではの凝縮された刹那の営みを繰り返すために。

 イルカと共に、今日もまた。



【完】